外れ馬券裁判二つ 税法について

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丁度、正反対の判決が二つ並びましたね。

この辺の経緯について、以前に触れました。

 

ややこしい話をしよう - ややこしい話をしよう

 

まとめると、

 

1 馬券の当たりは、原則は一時所得

2 3か月前に30万馬券を買って外しました、今、40万当たったので引いて下さい、と言っても、当たった事と、3か月前に馬券を買って外れた事は本来無関係。経費として引けるのは、基本的には直接利益に関係ある費用のみ。だから今まで、基本的に外れ馬券を経費として認めなかった。

3 しかしながら、プログラムを駆使して、複数の馬券を大量に、継続的に購入することで払い戻し金を受ける確率をあげる購入手法で利益をあげた者が現れる。

4 外れ馬券を含む一連の馬券の購入が、一体の経済活動の実態を有する、と認められた。

 

ここまでが、平成27年判決です。ちなみにこれには、裁判官大谷剛彦の意見がついている。裁判官が判決に意見するというのは、どうしても言いたい事がある場合です。

 

「外れ馬券の購入代金を必要経費として控除できるとした原判決には法令違反があるとわざるを得ないが、本件事案の特殊性に鑑み、原判決を破棄しなければ著しく正義に反するとまではいえない」とまあ、結構熱く、まっこうから判決に否定的で、良いですね。感情がある。

一時所得は、所得に直接かかわる経費しか引けないけど、雑所得はもう少し広く、必要経費が引けるので、どっちに該当するか問題になっていたのです。前回記事の補足をここでしちゃうぜ。

大谷裁判官は「当たり馬券の払戻金は、当該当たり馬券によって発生し、外れ馬券はその発生に何ら関係するものではない」と意見の中で言っていて、それは確かにそうだ、という話ではある。

要は、裁判官でも反対が出るくらい、この判決は難しいもので、はずれ馬券の経費みたいな問題でさえ、結構掘り下げると深くて面白い気がします。

何で、二か月前に買った外れ馬券が経費になるのか? という問題ですね。

 

しかし、世の中というのは、判決の結果しか出回りません。

 

「はずれ馬券が経費になる」という話だけが出回ってしまった。

 

国税庁最高裁の判決を曲解して、苦渋の通達を出した話は以前に書きました。

 

結果、こうしてはずれ馬券を経費にできるかどうか、裁判が二連続出てしまった訳ですね。

もともと難しい判断なので、勝ったり負けたりしてもおかしくない訳です。ポイントは、はずれ馬券も含めた一体の経済活動かどうか、とか、営利を目的としてた継続的な活動なのかどうか、ですね。

 

今回の奴は判決文とか見てる訳じゃないので、ニュースだけ見ると、損しながら馬券買ってた人は、「営利を目的として」の活動じゃないと判断されて却下された、という事かな、と思います。

 

まだ最高裁が残ってるけど、勝訴した方は、利益を出しているので、「営利を目的とした継続的活動」として認められた、という状況ですね。

 

 

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こういうところを見ると、税法に詳しくない人々の意見が見れるのですが、だいぶ自分の感覚と違うなあ、と思います。一貫性がないと言っている人がいますけど、どちらかといえば、馬券を経費で認めるのが、余りにも例外的で、大谷裁判官の言うように、一貫性を欠いているんですが、この辺の流れが分かる人間は税法マニアだけなので仕方ないです。

 

赤字企業云々の話については、そもそも事業活動ではない、という認定なのでスタートする場所が違い、法人税法所得税法で、そもそも税法自体が違うと思いましたけど、そりゃ普通の人はピンと来ないな、とも思います。

 

ただ、外れ馬券の隠蔽云々はズレてしまっていると思います。外れ馬券を経費に算入する話なのに、外れ馬券を隠蔽したら経費に算入できないので、意味が分からない事になってしまいます。当たり馬券の裏取引とか、もう、よく分からない・・・と思いました。

 

他の意見に以下の意見があり、

 

「事業(賭け事)に失敗して財産無くなった場合は、必要経費(ハズレ馬券)も認められずに更に地獄ってことでしょうか。

「多額の利益を恒常的に上げていた」って定量的な採決でもないし、かなり曖昧な判断基準に見えてしまう」

 

なるほど、という意見で、ただ、スタートが「事業ではない」という認定ではあるのですが、一方で定量的な採決ではなくて、曖昧な判断基準というのはまさにその通りです。というか、法律は意外と曖昧な判断基準が多いと思う! みんな、法律がはっきりとした白黒をつけてくれると思っているかも知れないけど、意外と曖昧だから、裁判で判断する必要があるんだと思う。

 総合勘案とか、社会通念上とか、色々見て判断せざるをえないから、裁判官は大変ですね。

 

 同じように見えても、違う結果が判決で出る訳で、しかしそこに至る経緯には、歴史的というか、今まで積み重ねてきた法理論や、判例がある訳です。今回で言えば、2015年判決からの流れで、はずれ馬券はいかにあるべきか、判例を積み重ねている段階ですね。

 

 こうやって社会やルールが出来ていく、と考えると、少し面白くないですか? と思うのでした。