昔、「ピンポン」のアニメがやっていて、それが凄く面白かったから、スポーツものを読みてえ! ってなった事がある。
ピンポン、は原作が漫画なのだが、スポーツ漫画は数が多い上に、すぐに必殺技とかの方向にいきがちなので、ここはひとつ、ピンポン的なリアリティレベルを求めるなら、小説がよかろう、と思って書店へ行ったのだった。
そして書店へ行って愕然とするのだが、スポーツ小説をどうやって探していいか分からない。
小説は基本的に、出版社別、作者名前別になっている本屋が大半ではなかろうか。
しかし、出版社によって、スポーツ小説かどうかなんて、全く分からないものではないだろうか。いや分かる人いるかも知れんけど、それって一般的なのかなあ。
作者名については、いや、作者名分かるくらい具体的な知識があるなら、探す探さないのレベルはもう済んでるじゃん、と思った。
意外と、本屋で小説を探すのは難しいな、と思った。
よく考えると、SF小説ならハヤカワ、ミステリーなら関連文庫、ライトノベルはライトノベル、という感じで、熱心なファンのいるジャンル小説は、実は簡単に探せるようになっているなあ、と思った。
時代小説も、探すのに苦労しないだろう。
つまり、スポーツ小説はジャンルとしては、ファン層がいるほどには定着していないのだろう、と思う。
あと、本屋の陳列がこれでいいのかどうか、という事を考えたが、結論は出なかった。
小説以外の本は、法律、経営、社会、エッセイ、とか、ジャンル毎になってるけど、小説は「小説」という広い括りで置かれているなあ、とは思った。
結局、本棚からとりだし、あらすじを見ながら、「バッテリー」とか「DIVE」とかの名作小説を読んだのだが、後にアニメ化されてびっくりしたりもした。
ちなみに、ぜんぜん「ピンポン」とは違った。「バッテリー」が野球小説かどうか自信がないくらいだ。1巻って、試合さえしてなくない? バッテリーはちょっと異様な小説で、もう野球じゃねえ、と良い意味で読みながら思っていたが、凄い迫力の小説でもあった。野球じゃない、というのは、ジャンプ漫画みたいに異常な技が飛び交うから、とかいう意味ではない。
主人公の自負、一人の個人であるということ、が9人でやる筈の野球、という集団性を壊していく、と同時に再生させていく話で、技術論的なものは余りなかったので、もう野球小説かどうか判別がつかない、むしろ、大江健三郎っぽいとさえ思ったので、文学に7割くらいになりかけていると思った。
ピッチャーの自負が凄まじく、こいつ、9人で野球をやる気が微塵もねえ、これはもう野球小説じゃねえ、と思った。
まあかなり脱線したんだけど、「DIVE」は見事なスポーツ小説だったけども、小説ってすぐ終わるんだよね。
漫画みたいに、何十巻も続いたりしない。
いや続けたらいいのに、って思ったりもする。
そのスポーツ独特の心構え、技術の話があって、切磋琢磨して、栄光と挫折があって、必殺技とかが飛び交わないものが読みたいな、と、あの時は思っていた。
そんな気持ちに、ぴったりの漫画がある。
そう。
いつかみのれば、全2巻!
しかしこれは冗談ではなく、実際にそういう漫画だと思う。
ゲームセンターで生きる人間の苦渋と当時のリアル、という点では、ウメハラ漫画がリアルではあるけども、あれは実在に寄せ過ぎて漫画的快楽がおざなりなところがあるように思う。
いつかみのれば、では、鉄拳のテクニックをちょっと執拗なほどに説明する。
彼らが何をしているのか、何故勝てるのか、に対して、安易な必殺技などは一切使わない。強さの序列の扱いもリアルで丁寧だ。
戦闘に、一本芯の通ったリアルがある。
主人公のミノルは、ゲームセンターという異世界を、四条という案内役を持って冒険するのだ。
四条の発言は、非常に、非常にアレなのだが、見慣れたアレさでもある。
自分はたぶん、四条の発言には全て注釈がつけられる勢いである。
逆にいえば、それぐらい四条の発言は深い。
四条が、プロは強いだけじゃダメで、ゲームのおもしろさやかっこよさをたくさんの人に広める役目もあるの、と言う時、自分はこの背景にいる、ウメハラやときどやかずのこやペコスやユウやノビの発言が脳裏をよぎるし、これは実際、プロゲーマー達の切実な問題であるのを思い出すのだ。
たぬかな、という鉄拳の女性プロがレッドブルにスポンサーされた今こそ、いつかみのればが売れてほしいと思う。
プロは、強いだけでいいのか、いや、良くない、というこの、プロゲーマー達の出発点こそが、彼らの苦境を伝えている。
野球や、サッカーや、他のスポーツは大体、強いだけで何とかなる面が、ゲーマーよりは大きいだろう。
しかしプロゲーマーだけは、強いだけでは何とかならないのだ。
まず、格闘ゲームという狭い、ニッチな世界の魅力を、何とかつたえないと始まらない、そういう苦境の中にいる。
だから、強いだけでは駄目なのだ。
お蔭で逆に、他のスポーツプロ以上にプロ、みたいな面がなくはない。小説家よりプロゲーマーを尊敬する、みたいな話をした事があるが、彼らは、業界という世界を否応なしに背負わざるをえない。その当事者意識が、リスペクトを呼び寄せるように思える。小説家は普通、自分が小説業界を背負っていると思わないし、実際に背負ってはいないだろう。プロゲーマーはその数の少なさ故に、本当に背負ってしまっている。特にウメハラなどは。
しかしそんな事を言った四条が、次の瞬間「初心者相手にあったまって……投げから起き攻めでハメて殺しちゃった……!」と言って頭を抱えるのである。
もうこの時点で、何故か俺は「マゴさん……!」と関係ない人の名前を呼んでしまうのだが、この四条の行動自体が、プロゲーマーのジレンマを表しているように思えるのである。
他人に魅力を伝えなければならない、しかし、勝たなければならない。
もともと、お金も貰えないゲーセンの片隅で、ただ勝つためにゲームをやっていたのだ。
勝ちたいのだ。
理由もなく勝ちたいのだ。
だから投げから起き攻めでハメ殺してしまう。それが本来のゲーマーの姿なのだ。
その板挟みの中で苦悩している四条の姿が、一話から出てくるので感動する。
こいつは、確かにゲーマーだ、と。
そして、みのると共に、このゲーマーの世界で熱く戦い、青春するのである。
皆も買おう! いつかみのれば!