炎上商法の誘惑

二日ほど前に、ブログのアクセス数が上昇する出来事があった。

その時にまず思ったのは、「なんか怖いな」という事だったけど、一旦落ち着いて思ったのは、これを炎上させたら儲かるのでは? という事だった。

 

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その時、アドセンスの審査が降りたばかりで、よく分からないが、アクセスを増やさねばならないのだろう、という気持ちにはなっていた。

しかし結局、自分はアクセス数が増えて一瞬ビビッてしまうような人間だし、とても炎上に耐え続ける事は出来そうもない、と思った。

それに、本当にブログで死ぬほど儲けたいなら、もっと激しくアフィリエイト記事を書くべきだし、こんな雑記ばっかり書いている場合ではないだろう。

 

ストレスというものの影響は無視できない。

動物でさえ、ストレスで死ぬ。

 

ストレスが激しそうだからやめておく、と言うと、そんなもの幾らでも我慢できる、気にしなければいいだけ、という我慢強さ、鈍感力自慢みたいなものが起きる事があるが、そのようなストレスの軽視は、むしろ社会にストレスを蔓延させてしまいそうに思う事もある。

多くの炎上ブロガーが、結局はそれを続けられないのはそういう理由かも知れない。高知へ行くしかないのだ。

未だに強力な炎上の力を発揮し続けているのは、もしかしたらまとめサイトかも知れず、彼らの「自分の言葉で書かない」スタイルは、どれだけの叩きにあっても、自分の精神を守るいい防御法に、結果的になっているかもしれない。

 

 ただ、自分のような軟弱者さえ、「炎上したら儲かるのでは?」と脳裏によぎるという事は、炎上上等の人間なら、決然とそれを行うだろう。

 

 炎上自体は、技術的にはそれほど複雑ではないかも知れない。

 

 自分であれば、二日くらい前の時に、閲覧者を煽り倒して、閲覧者に信者とか何とかレッテルを貼って、一方的な見解を述べればかなり炎上したのではないか。つまり、自分でも出来そうなぐらいなので、真面目に炎上を追求する人には難しくないだろう。

 これは偶然だが、簡単に白黒つくような話はしていなかった。白とか黒とかいう問題でさえなかった。細部を議論で詰める事は出来たかも知れないが、それに意味があるとは思えない状態ではあった。だが、簡単に白黒つく話だと炎上はしないだろう。

 

 何か言いたくなる、引っ掛かりがあるから議論が始まる。

 

 実際に、二日前の話の論点としては、漫画界は斜陽産業か否か、佐藤先生は漫画家の労働問題に大きく貢献してきたかどうか、漫画界滅べ、子供は漫画家にさせない、という結論は建設的か否か、というような論点がありえたが、どれも白黒つくように思えない上に、検証も難しい問題ばかりだった。まあ、他にも論点はあったかも知れないが、どれにせよ、ちょっと難しい問題ばかりだったし、やや自分の言い方が攻撃的だったかもしれないので、謝罪という形になった。

 悪意的に取れば、金持ちの漫画家さんはいいですなあ、みたいに僕が言ってるように見えなくもないので、謝罪したのだが、あそこで滅茶苦茶にツッパリはじめ、煽り始めたら炎上コースに入っていただろう。

 でも、その方が儲かったんじゃ? と一瞬思った。

 これだから漫画家信者はよー!ぱらりらぱらりら! とか、暴走族みたいな事を言いまくれば炎上していたと思うのだが、そんなことをする勇気はない。一生叩かれまくる事になる上に、そもそもそんな事は思っていない。

 本当に思っていない事を言う、嘘を言う事を続けるのも、ストレスになるだろう。

 ただ、炎上と、炎上を叩く側には、それぞれメリットがある、という事を改めて自覚した。

 

 炎上側のメリットは、閲覧数だろう。ブログ収入の根幹を成すものだから、かなりのメリットだ。収入に繋がったりもする。これは分かりやすい。

 

 そして、炎上を叩く側にもメリットがある。

 1 まず単純に、攻撃する事には快楽がある事。

 2 悪い奴を叩く事で、どんどん自分が正義になれる事。

 3 論理で相手を言い負かす事で、どんどん賢さを示せること

 4 勧善懲悪のストーリーに入り込めること。

 5 炎上を叩く側の共感の輪が拡がり、連帯感を得られること

 6 そして、炎上叩き記事を書く事で、閲覧数も稼げること

 

 これらは被っている部分もあるが、こういう相乗効果で、炎上を叩くのはかなり気持ちの良い事だと思われる。別にこれは、炎上を叩く事が悪いと言っている訳ではないのに留意していただきたい。こういう側面もある、という話でしかない。

 現に、なんとか物事を炎上させようとするブロガーや、炎上を探し出そうとするブロガーを見た事があるのではないだろうか。メリットがあるから、何かを彼らは燃やそうとするのではなかろうか。

 そこでは、炎上する者と、炎上を叩く者で、ウィンウィンの関係が図らずも出来上がっている。

 愚かな理論を展開する悪を叩く事で、賢く、正義である事を証明できる上に、理解者や共感者が現れ、自己実現できる。その上、炎上叩き記事でアクセスアップまで出来る。そういう意味では、炎上を叩く人間は別に損をしていない。

 炎上者も、苛烈な批判を乗り越えられれば、アクセスアップという結果だけが残る。

 このループは延々と繰り返す事が出来るので、もしかしたらこの円環の中にいる間は幸福かも知れない。炎上ウォッチャーみたいな人々がいるのも頷ける。基本的にはネットの炎上で悪が滅んだりは、普通はしないので、悪を倒すまでこの物語は続ける事が出来る。逆に言えば、悪が滅ばないので、叩きは延々と加熱する事になる。

 

 しかし実際には、そこにはそんな単純な善悪がある訳ではない事も多い。別に悪いとは思えないような炎上も、何度かは見た事があるのではないだろうか。

 

 自分も、議論によって何かを言い負かそうとか、そういう自分の気持ちにはある程度注意深い必要があるなあ、と思う。そういう気持ちが全面的に悪い訳ではないけども、時々は立ち止まる必要があるように思う。

 

 直接関係ない話だが、炎上が起きている時に、不思議と、それがどれほど奇妙な理論であっても擁護者が現れる。自分が思うに、ネットには色んな人がいるので、それがたとえ、米を食べない事で病気にならなくなる、みたいな珍奇な理論だったとしても、世界のどこかには共感者がいるのだ。

 むしろ炎上のお蔭で珍奇な理論の賛同者が、仲間を見つけた、と気づいて集まる可能性もある、と思う。

 ネットがなければ拡大しなかったような奇妙な主義主張などにも、賛同者やその拡大者が現れたりして、ネットの功罪を感じる時もある。ネットでフェイクニュースが広がるのも、そういう部分があるかも知れない。現実に顔を合わせれば、何言ってんだこいつ、と相手にされないような理論も、世界中に投げかければ賛同者が現れる。

 ネットは困った人々を可視化し、困った人々を叩く事をエンターテイメント化し、結果、困った人々ではない人達を、困った人々であるかのように演出しようとする者もあらわれ、混沌としている。

  右翼にしろ左翼にしろ、えらく極端な人々がピックアップされてしまうのも、ネットの側面かもしれない。

 うう!この、ネットの暗黒面に引きよせられる!

 沈まれ!俺の右手!

 俺をネットの暗黒面に落とさないでくれ!

 炎上したら儲かるとか、完全に暗黒!

 炎上しなくても儲かるなら、暗黒面に落ちずにすむ!

 なので、アドセンス貼っておきますね。では。