革命児、みたいなのってほんとに実在するの?

 

改革みたいなのって、上から居丈高にやらなきゃいけないものなのかなあ。

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最近のネットで見た、色んな知見を得て、思ったところではある。

上記のエントリーは凄く長いんだけど、フェイスブックの創業者が、教育に1億ドル投資したけど、住民の協力が得られず失敗する話だ。

自らお金を出して、州知事や市長と協力体制を取っても、住民の協力が得られなければ失敗する。

結果、次の挑戦では、現場や住民と協力して成功するようになる話でもある。

自らお金を出してさえ、こうなのに、一部の左翼的というか、そういう人々の「我々は正義である」という押し付け一点のみの議論が反発を買うのは自然ではある。それが本当に正義だとしても、彼らは金さえ出していない。

村上春樹海辺のカフカで、田舎町の図書館にフェミニズム団体がやってきて、トイレが男女共用であるのを差別だと言ってくる話がある。しかし、男女別のトイレを設置するには資金が必要であると言っても、差別だ、という一点張りをしてくる場面だ。

このような、左翼と言っていいか分からないが、正義の押し付けのイメージがあり、村上さんのような世界的作家でさえそれを書き、この正義の押し付けについては未だにそういう議論の仕方する人はいる。

また、左翼的な問題だけでなく、経営や、政治などでも、やたらと上から、公務員を批判しまくりながら、結果的に果たせなかった大阪都などもある。

本当に、そんな上から一方的に押し付ける、革命児みたいなものが存在するのだろうか?

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 織田信長にそういうイメージの源流があって、颯爽と世の中を変える、冷酷な革命児のようなイメージが流布しておりますが、実体はかなり違うという意見も多いところではあります。

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何か改革で大きく変えていったり、立派な仕事をする人には、むしろ仲間に対して低姿勢に、協力体制を築き上げる人も多いのではないかと思います。

単一の思想、単一の旗を振る人を、革命児みたいに扱っても、実際には頓挫するのでは、という気持ちはあります。

任天堂は今、好調ですが、岩田社長がそんなにワンマンだったとは思わない。もちろん、独断するのが社長の仕事ではあるけども。

大体、ワンマン企業は滅ぶ、と言った次の週には、織田信長に学ぶリーダーシップ、とか言って独断を褒めたところで、何も意味がないのではないか。

というか、大抵の企業はワンマンに陥るし、それによって失敗した事例は枚挙に暇がない。

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なのに、何故かワンマンと独断が、改革とか革命とか言う言葉がセットになると正当化され、地道に周囲と協力体制を築く方向に行かないのか。

世の中を変えたいなら、もっと周囲と協力的である方が良いのではないか。

さっき言った、フェミニズムでも何でも、何故仮想敵を想定する方向で話が言ってしまうのか。敵を味方にするぐらいでないと、物事は変えられないのではないか。

単一の正義、単一の思想で旗を振る事自体に危険性がある。

確かにリーダーは独断を行わないといけない時があり、判断するのが仕事ではあるだろう。しかしその独断を、革命児だリーダーシップだともてはやしはじめると、バランスを失う危険性も高まるのではないか。

話なんか聞かない方がいい、みたいな事になってしまう。

 もちろん、いちいち全ての話を聞いてたら物事は進まない訳だが、直接協力してもらう「現場」の人間を尊重できなければ、物事は良い方向に進まないのではないか。

差別が悪いのも、結局は同質の集団を形成し、多様性を破壊してしまうからで、多くの生物が男女に別れるのも、多様性が生存に重要だったからではないだろうか。

 

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 もし、生物にとって生存だけが大事ならば、不死身に近い微生物は存在し、それが際限なく分裂するだけで構わない筈なのに、人類が誕生したというのは少し不思議ではある。脱線だけども、生物達は結局は多様性を選んだのかも知れない。

 より周囲と協力的であっていいし、あんまり評判の良くない言葉になってしまったが、「対話」があっていい。

ネットは、対話不可能な相手を可視化してしまったために、対話の価値はかなり下がってしまったが、それは結局、実体の伴わないネットの向こう側の相手だからという面もある。

皆、職場や家庭や、現実の環境では対話をしている筈だ。

現実でも対話不可能な客などはいるが、そこでは何らかの苦渋の妥協点を見つけている筈。

世の中が善と悪に大別されるとは自分は思わない。

アニメのポスターが反フェミニズムだと騒いで、本当に何か世の中が良くなるのか。もちろん、不愉快に思ったならばその表明はいいし、その表明に対してやたら喧嘩腰になってしまう今のネットの状況というのも、かなり多様性から遠く感じる。

 

究極的に言えば、より優しくあれないのか、という事かも知れない。

 

押し付けの改革で世の中は良くできない。

「当事者」との協力や対話は不可欠なのではないか。

もちろん、そこでどうしようもない事があるから、冒頭の記事では旧職員を退職させる訳だけども、そこで多額の退職金が必要となる。

そのような妥協点が必要だろう。

ただただ正義を振り回して押し付けてもどうしようもない。

 

 そのような事を考えたりもします。