経営者目線なんて、本当にいるの?

 

従業員に、経営者の目線を持て、みたいな意見を言ってるのを聞く事ってないですか?

時々、それって本当にいるのかなあ、と思います。

確かに、従業員がみんな経営者のように真剣に会社の事を考え、会社の存続と利益を考えてばかりいるのなら、その会社は強そうではある。

でも根本的に、それだけ会社の事を考えたところで、従業員は経営者ではない。

従業員に、それで一体どんなメリットがあるのか。

経営者が楽になるだけでは?

まあでも、雇用というのはもともと、経営者が楽になるために他人を雇う訳ですから、経営者が楽したいのは分かるし、そのために給与を払っているという理屈にはなるけども、だからといって、従業員は経営者の目線なんて持たなきゃいけないのだろうか。

経営者の目線なんてなくても、必要な業務を適切に割り当てて、その業務に集中して仕事をする方が、本来は合理的ではないのか。そこで、経営者としてのコスト意識だとか何とかかんとか考えだしても、余計な思考リソースを割くだけの気もする。

 

経営者と雇用者の間には、結構な溝があるように思う。

 

経営者は経営者の横のつながりで、他社の給与事情なんかを知る事で、「手に入れた給与情報の中でも、最低の所に着目する」可能性が高い。

あそこは、たったあれぐらいの賃金で人を雇って、残業させているらしい、というような情報である。

それを聞いて経営者は「俺のところは、あそこよりもずっとホワイトだ」と考えたり、大手でそんなに安く使っているなら、うちも本当はもっと安くしなければ、会社の体力を残せないぞ、などという方向に行き易いのではないか。

実際に給与を安くするのは難しいので、意識としては、「こいつらには他社よりずっと高い給与を払わされている」という意識になりがちで、「これだけ給与を貰っているのに、この程度の仕事か、経営者目線を持て」とかいう方向に流れがちなのではないか。

周辺同業種の、一番安いところが基準になるバイアスがありそうに思う。もちろん、これには何のソースもない。

ただの妄想ではある。

従業員側からすれば、その最低の給与のところは、遠くの地獄という認識でしかなく、そもそも同業種と比較する必要さえなく、さらに言えば、より高い給与に着目する意識になりがちではないだろうか。また、経営者ほど周辺の給与情報を手に入れやすくはない。

 

どうにもこの、労働環境というものに、自分は馴染めない。

 

 

経営者目線など持ってしまったら、余暇を楽しむ事も出来なくなってしまう気がする。

会社が「ただ一つの目標」を掲げ、その価値観に向けて邁進しろ、という時、逆に言えばその目標や基準に合致しないものは、弾かれてしまうしかない。

しかし、人間は本来、会社だけで生きるものではないのに、単一の価値観、単一の人生状況に、会社が従業員を陥らせようとするのに、違和感がある。

必要な業務をこなし、定時で帰り、自らの時間を大事にする。

こういう価値観を、蔑む局面を見てきた。

あいつは定時帰りだとか、出世しないとか、そういう批判をする人を見た事がある。

熱心に仕事をする人間が価値ある人間であり、常に成長を目指して、自分を変えていかなくてはいけない、というような理屈はまあ正論とも言えるが、そのような単一の価値観でぐいぐい社会を作っても、結果的に息苦しい社会になるだけではないか。

 

成長なんて、本当にいるのか?

 

会社は学校ではないなら、成長を押し付ける必要自体がないのではないか。

やたらめったら大変で非人間的な仕事を、成長のチャンスである、と強弁し、乗り越えた人間は、辛かったけど成長できました、とか言う。

しかしそれが、結局はブラック企業を生む温床ではないのか。

成長だのやりがいだの経営者目線だの、本来は仕事と関係ないのではないか。

必要な業務を、必要な人材でまず適切に運営できるようになってから、やりたい人間で成長だの経営者目線だのやっていればいいではないか。

従業員は給与の対価として仕事をしているのであって、成長しに来ている訳ではない。

 

だがこのような考え方は、怠惰であり、社会への裏切りかのように扱われる場面を何度か見た。成長する意識のない社員は駄目社員である、というような言説は、ビジネス書のコーナーにでも行けば、幾らでも置いてあるだろう。

 

しかしそれでも、従業員は給与の対価として仕事をしている、というのは根本原則の筈なのだ。

 

いまいち、MBAみたいな人々に共感できないのは、確かに従業員が経営者目線で動くように教育できたらいいでしょうけど、それは自分が楽をするために洗脳しよう、みたいな話と大差ないんではないのか。

 

どこまでが給与の対価なのか、曖昧な意識でいるから、残業代未払いとかが横行してしまうのではないか。

 

そして冒頭で述べたように、最低な給与状況を経営者が標準と考えるから、無茶ぶりをしても「お前は高給を取っている」、これは成長のチャンスなのに、とかいう発想になってしまう。

 

もう成長なんてしなくていいし、経営者目線なんていらない。経営者は、適切な範囲の仕事を、適切な指示で与えられるようになればそれでいいのではないのか。

そもそも、適切な指示で仕事を与えられないから、「自分で考えろ」というのを、経営者目線と言い換えている者もいるように思われる。

 

余りにも生きづらい。

 

人間は多様なのだ。

会社で働くよりも、余暇を大事にしたい人間もいる。

家族を大事にしたい人間もいる。

たいへんな仕事など、誰だってしたくないのだ。だがそれを、積極的に大変な仕事をしない人間は駄目だ、みたいな議論へすりかえていく。

単一の価値観に、人間を染め上げようとするよりも、多様な価値観の、全くばらばらの人間でも、適切に仕事を割り振れるように合理化する方が良いのではないか。

 

こんな事を、つらつらと考えたりする。