たつき監督の、傾福さんというアニメがあがっていて、見る機会があった。
正直、わからん。
たつきファンというより、たつきが作ったけものフレンズのアニメのファンなんだなあ、と自分の事を思う。
たつき監督の功績はめちゃくちゃでかいんだけど、でもやっぱりあれは、あの座組みの化学反応の奇跡だったと思う。
吉崎先生がいて、前身のアプリがあって、脚本家のアドバイスがあって、たつき監督がいた。この黄金の座組みは、欠けてはいけなかった。
正直、サンライズの作るけものフレンズというのは、いまいち想像できない。
まあまあ面白いアニメは出来るかもしれないけど、どうなのか、というイメージ、まあ、まだできてもいないアニメは論じようもない。
振り返ると一年、けものフレンズばかり考えていた。
あとは、響けユーフォニアムか。今さらどうこう言う事もない傑作だったな、と言うか、まだガンガン映画が来るみたいだけれども。
ああ、サーバルちゃんを見る度、何故だろう、今は悲しい気持ちになるのだ。
僕はもう、それはそれはサーバルちゃんが好きで、サーバルちゃんのために命を投げ出してしまうんじゃないかという勢いだったので、11話には震えるしかなかった。
かばんちゃん・・・!
俺は一度、10話を見ていて、かばんちゃんに切れた事がある。
だって! だってさ!サーバルちゃんが「一緒に暮らさない? たのしそー!」って言ってんのに、言うに事欠いてお前、人の世界を探しにいきたいだあ?
お前は何にもわかっちゃいねえ!
人の社会なんて、クソだ!!
記憶喪失だから仕方ねえところはあるが、それにしたって何もわかっちゃいねえ!
いいか、お前、サーバルちゃんはお前に、一緒に暮らそう言うたんやぞ、それを捨てて、人の世界に行くだあ?
はーーーーーーーーーーーーーーー!!何もわかっちゃいねえ!!
、お前のやろうとしている愚行を、何にたとえたらいいかわからん。黄金とクソを交換するようなもの? いや、サーバルちゃんを黄金のような貨幣価値のおまけみたいなもので例えるのは失礼にあたる。
サーバルちゃんは、この世界で唯一無二、本当に価値ある存在なんや……。
それをお前、人間社会を探しに行きたいって・・・!
人間社会なんて、クソはまだ肥料になるけど、それ以下のゴミやんけ。
サーバルちゃんを捨てて人の社会を選ぶとか・・・はーーーー!!何も分かっちゃいねえ!
お前はサーバルちゃんとあれだけ過ごしてて、サーバルちゃんの真の価値がまだわからんのか?
人の社会で、サーバルちゃんとジャパリパークで一緒に生きる権利を貰えるって話になったら、全てを捨ててでもそれを手に入れたい奴はおる。親を殺してでも、や。
そんな究極の価値を捨てて、人の社会に来る?
ほーん、それで?
かばん、お前は何を得られるんや?
ここはジャパリパークに比べれば全く無価値で、存在する意義のない、はきだめみたいな世界だ。
かばん、お前はここに来ても何も得られない。
虚無だ。
ここには何も無い。何も無いんだ!
この全く非人間的な、虚無と無価値しかない世界へ、サーバルちゃんを捨てて来るだと?
ふざけんな!
目を覚ませ! お前は何もわかっちゃいない。人は皆ジャパリパークを目指す、全ての人間の理想郷だ。
だがお前は逆だ。人の社会というごみためへ行こうとしている。
俺はお前が過ちを犯さないように祈っている、価値があるのは、ただサーバルちゃんだけなんだから・・・
という感じで、10話時点では切れていたんだけど、11話を見て、早起き(泣くことの隠語)してしまったよね。
11話の時に叫び狂った記録が存在する。
今まで、かばんちゃんが何かすると、『人類の特徴』『人の叡智』と言われて『かばんちゃん』という個人の特徴を軽視してきた。
11話の行動でさえ、『自己犠牲』という人の特徴だという者もいる。
でも俺は思うんだ。
『かばんちゃん』・・・・かばんちゃんなんだよ!!
俺は今まで、何もわかっちゃいなかった!
橋を見つける知恵や、地上絵を発想する知能ばかり見て、人類だ人類だと騒いでいた!
でもあの時、本当は地上絵を描く必要なんてなかった! 充電ありがとうございますと言って下山する事も出来た! 何故わざわざあの時、草むしりしてまで地上絵を描いた!?
アルパカのためだよ! フレンズのために決まってんだろ!!
そうだよ! 『かばんちゃんは優しい』んだよ!!
それは、かばんちゃんという個人の、もっともすぐれた能力だったのかも知れない。彼女はいつだって、5話だって6話だって、フレンズのために行動していた!いつだって、『個性的なフレンズさんだね』と言って、誰をも否定しなかった!
サーバルちゃんばかり聖母とか言われるけど、かばんちゃんもそうだったんだよ・・・!
かばんちゃんが優しかったから、この旅は楽しかった。
かばんちゃんだから、この旅はこうなったんだよ!
ヒトだったら誰でもいい訳じゃない。かばんちゃんがかばんちゃんだったから、サーバルちゃんがサーバルちゃんだったから、ボスがボスだったからこの旅はこうなった。
何一つ無駄ではなかった。俺達の旅は、いつだって回り道が一番の近道だった。何て、何て遠い回り道………
うおおおおお!騎兵の回転を使えかばんんんんん!! と、思わず先祖伝来の鉄球の回転の話をしてしまったけど、自己犠牲が人の特徴とかふざけんな。
あんなためらいなく、あんな勇気ある行動を、人の一般的特徴みたいに言うな、あれは、『かばんちゃんの勇気の証』だ。そして愛の証でもある。
ある意味、10話のサーバルちゃんの告白への、11話での返答とも言える。
10話でサーバルちゃんは、ビーバー達みたいに一緒に暮らさない? たのしそー! と言って、皆が愛の告白だと受け止め、無邪気ながらしかし、確実にそこに愛を感じた。
そして11話でかばんちゃんは、君のためなら死ねる、という返答をしたのだ、と言う事も出来る。
ただ「ありがとう」と。何一つロマンチックな言葉の応酬はなくても、そこにある愛を疑う人間はいないだろう。
恋の言葉などなくとも、愛を描く事は出来るのだ。
なので、10話は、一緒に住もうという告白、11話は、君のためなら命を投げ出しても惜しくないという返答、と見る事も出来る。
それは、人の特徴なんかじゃないよ!
かばんちゃんが、かばんちゃんだから。
そこに愛があったから・・・!
うおおおお! やめろかばん! 行くんじゃねええええ!
俺がゲッターを使ってセルリアンをやっつけるまで待つんだ!
行くなあああああああ!
はあはあ、すいません、取り乱しました。ゲッターの火力じゃ、中のサーバルちゃんまで破壊しちまう!
と、11話の時に発狂していた記憶がある。発狂のあまり、ゲッターのパイロットになってるし。
一年を振り返ると、けものフレンズの年だったなあ、と悲しむのでした。