オフィス北野で起きている事は損害賠償に該当するか?

blog.livedoor.jp

まあこのような出来事がありまして、

人気コメントに、

「社長が私腹を肥やすために会社を私物化してたってことじゃん。背任行為なんだから損害賠償&解雇っていうのが普通の対応だと思うけどなんでたけしが出ていくのかよくわからんし首にできない裏の理由があるんじゃね? 」

というものがあって、これは結構難しい問題を含んでいそうだ、と直感的に思った訳です。

何より大きいのが、時系列から見て最初の問題が、

「まず一つ目は、師匠が知らない間に、森社長が、何時の間にか、オフィス北野の筆頭株主になっていた、ということ。」

と、なっています。

これに背任で損害賠償を請求したり、解雇するのは一筋縄ではいかなそうだ、と私は思うのですが、皆さまはどうでしょうか?

何故難しいかというと、「会社を私物化」というコメントがありましたが、

会社は株主のものだからです。

大株主という事は、既に最初から会社が私物な訳です。

50パーセントを超える大株主な訳ですから、かなり会社の資産を自由にする事が出来る。厳密には特別決議ができないので、3分の2、67%あったら完璧ですが、ちょっと詳細は明確ではないものの、以下、引用

「オフィス北野の大株主グループ(東通関係 弊社株式の55%を所有)から、会社更生法を申し立てることが、急遽に決まり、大至急弊社で株式を買い取れないかとの打診がありました。

 当事、商法上、会社の自己株式取得は禁じられており、森社長の一存でオフィス北野から森社長がお金を借り、そのお金で森社長が株式を買い取りました。(その結果、森社長の株式所有率は師匠の30%を抜いて65%となり、森社長が経営支配株主となりました。)」

この引用によると、65%保有の大株主ですから、役員報酬の額は、株主の過半数が賛成したら可能な気がしますので、最初から自由に決めて良い事になります。

過半数の株主(と言っても一人だけど)によって、色々な行動が起こされているので、背任を問うにしても、誰が背任を問うのか、という話になってしまう。他の少数株主が背任だと主張することも出来るかも知れませんが、かなり難しそうだと感じました。損害賠償も解雇も、誰がどの立場でやるのか、過半数を所有する株主という事は、森社長は実質的に法人そのものですので、難しいと思う訳です。

 

解任についても、原則は、50%を上回る議決権を有する株主が出席し、出席した株主の過半数が取締役の解任に賛成すれば、取締役は解任される、という流れでしょうから、解任は難しそうです。一応、定款で、議決権の3分の2以上となっている場合もありますけども、どっちにしろ、65%の大株主を一方的に解任するのは難しいです。過半数の株主は反対するから、解任できない訳です。(まあ、一人が反対してるだけだけども)

ある種の極論で、細かい事を言えば色々ありますが、

 

50パーセント超の株を持つ筆頭株主は、会社を私物化して構わない、という事です。(本当は3分の2以上あったほうがよい)

 

これは、100%の同族株主を想像すれば、より想像しやすいです。

あなたは会社を設立しました。資本金も全部貴方が出資したので、100%株主です。さらに、貴方は代表者でもあります。

あなたは自分に対する役員報酬を月額100万と決めました。しかしそこへ、同業他社と比べて高額である! とか誰かが言ってきたとして、何故言う事を聞く必要があるのか?

貴方の行為は背任だ!会社に損害を与えた!賠償だ! と言えるかどうか、というと、当然、言えないですね。100%株主は、会社そのものです。背任も何もありません。

では90%なら、80%なら、というところで、過半数というのが利いてくるのです。森社長の行為は、過半数の株主が賛成した行為になりかねない。

 

しかしながら、森社長の行為には、そもそも株主総会を開いてない、等の瑕疵があります。

ただ、上記の経緯を否定できるかというと、結構難しい。

オフィス北野の大株主グループという『善意の第三者』が、会社代表者から資金の払い込みを受けて株を売却しております。

何ら疑えるところがない取引になっている。

この取引自体を無かった事にするのは、これはもうかなり、かなり難しい。

適法かどうかはともかく、取引は成立し、株は森社長に渡っている。

株式は、株券の所有者のものですし、森社長は正当な株主ではなかった、とするのは恐らく、無理でしょう。

そもそも、この取引に瑕疵があるとしたら、森社長が勝手にオフィス北野のお金を借りた事であって、株を買い取った事ではない。払い込み資金の入手法に難があったとしても、取引は恐らく成立し、森社長が株主であることはゆるがないのではないか?

一応、取締役会決議が必要な事項は、

① 重要な財産の処分及び譲り受け
② 多額の借財
③ 支配人その他の重要な使用人の選任及び解任
④ 支店その他の重要な組織の設置、変更及び廃止
社債を引き受ける者の募集に関する重要な事項として会社法施行規則(99条)で定める事項
⑥ 取締役の職務の執行が法令及び定款に適合することを確保するための体制
 その他株式会社の業務の適性を確保するために必要なものとして会社法施行規則(100条)で定める体制の整備
⑦ 定款の定めに基づく取締役会決議による役員及び会計監査人の会社に対する責任免除

こんな感じの、「重要な業務執行の決定」であれば取締役会で決議すべきとなってるけど、明確な基準があるわけではない。

取締役会やってないからただちに無効、と言えるかは、けっこう難しい。

少なくても、取締役会をしていないから、株主であること自体を無効にする、というのは、恐らく無理ではないか。

 

株主総会をしていない事自体は、総会決議を無効化できる瑕疵ではあるけども、そもそも総会を開いてないみたいな書き方なので、ちょっと色々不明瞭です。

ただ少なくても、人気コメントにあるような

「背任行為なんだから損害賠償&解雇っていうのが普通の対応」というほど事態は簡単ではないし、「首にできない裏の理由があるんじゃね? 」という意見に関しては、裏の理由がなくても、筆頭株主は普通に首に出来ないのではないかと思われます。

 

ではでは

けものフレンズの、現況

結局、真実は分からないまま、けものフレンズの降板騒動は終わった。

結果、なんかもやもやしているせいで、ずーっとみんな答えがないのに、答えを求めてしまっている。

どのような事態を想定しても、ぴたりと納得できる状態にはならない。

カドカワが悪い、ヤオヨロズが悪い、吉崎先生が悪い。

どれもしっくりはこない。

たとえば、カドカワは専務が出てきて事態を収拾しようとした。これは凄く例外的な行動だし、たつき監督を降板しないほうがビジネス的にも良いのは分かっていると言っていた。

だけど、旨くいかなかった。

これで、カドカワが悪い、と言ったところで、何が悪かったのか分からない。

カドカワという組織が大きすぎるせいで、ふんわり叩けるけども、実際には尽力しているし、なんとかしようとした。専務でも駄目だったとなると、単純にカドカワが悪いと言ったところで、それが何を意味するのか、今となっては分からない。

 

ヤオヨロズたつき監督が悪い、と言うのは、幾つかの点ですっきりとしない。

まずもって、けものフレンズを楽しんだ人間からすれば、たつき監督が悪い、と考えることをしたくないのがあって、だからこそ、悪いのかどうか分からないカドカワが叩かれがちになっている。

しかし、いったい、ここまで頑なにけものフレンズ2期を、ヤオヨロズが断る理由はないので、何が悪いのか不透明すぎる。

けものフレンズを手放す、という選択肢はヤオヨロズにはない筈なので、悪いと言われても、具体的に何が悪いのだろうか、情報共有なんか、すればいいだけの話になる。

福原pはなんか胡散臭い人ではあるんだけど、だからといって、単純に悪者にしたところで、何かが分かる訳ではない。

 

吉崎先生を悪者にする説があるが、ガイドブックでのたつき監督との対談、アニメ一挙放送を、吉崎先生も一緒に見ていた時の、吉崎先生の反応やコメント、それらの情報と、なんだかやたら嫉妬に狂う悪者みたいに言われる吉崎先生像と合致しない。

 

 

つまり、誰を悪者にしても、すっきりと納得できたりはしない。

 

誰かを悪者にしても仕方がない。

 

だから、ただ、もやもやと不明なものを抱えて生きていくしかないが、人間はそれができないから、犯人探しや、奇怪な情報だけが飛び交っていたのだろう。

 

たぶん真相は10年は明かされないだろう。

 

生きるのが嫌になる

この社会は間違っていると定期的に思う病にかかっている。

ストレスのない環境、という単語を、ポジティブにとらえた人、貴方は正しい。ネガティブにとらえた人とは分かり合えない。

ストレスのない環境の方が良いに決まっているのに、そういう環境だと「成長」しないだのなんだの言って、無駄なストレスを増やす結果になるだけではないのか。

結果、無茶苦茶な仕事を受注して、給食が配れないとかいう事件になったりする。

合理的ではない。

社員を飲みに呼び出して昔の武勇伝を語るのを、貴重な経験談を聞かせてあげた上に飯を驕った優しさと考えるような愚かさから、いい加減この社会全体が脱却すべきではないか。

なんで、ストレスのない環境、をネガティブにとらえるのか。

それは、合理的な環境、という事でもある。

また、経営者たちは適当な思い付きや見聞きした事で、全ての人間が自由に机を使えるフリーオフィスにしようとか言い出したりするというか、そういうなんか思いつきを語るが、メリットも見えなければ、実装への苦労も考えていない。

経営者が思いつきを語って丸投げすれば、実際の事務がそうなっていく、などという発想は狂気だ。

とにかく、今日は疲れた。

 

 

判例の検索

判例を検索する時、

裁判所 | 裁判例情報

このHPを使う事になると思われる。

たとえば、名誉棄損、などで検索して過去の判例を見る事が出来る。(掲載されているものだけ)

今現在、名誉棄損の定義の元となっている判決を、ここから見る事も出来る。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/744/057744_hanrei.pdf

なんか普通に面白そうな事件とかもあるよね。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/160/081160_hanrei.pdf

うーん、興味深い事件もけっこうあるよね。

http://www.courts.go.jp/app/files/hanrei_jp/432/082432_hanrei.pdf

これは、暴力団を賛美するような内容を含む書籍を、コンビニから撤去できないか警察がお願いしたことに関する裁判で、なんだか最近そういう感じの議論がありましたよね。市長がエロ漫画をどうたらこうたら、みたいな。

 引用すると、

「本件要請文書の内容は,前提事実(2)ウのとおり,県警が,コンビニ各社に対し,暴力団排除及び青少年の健全育成等の観点から,暴力団関係書籍等をコンビニの店頭から撤去することが検討されるべきであると考えていることを伝えるとともに,これを踏まえた適切な措置を講じるように求めるものとなっている。そして,撤去が検討されるべきであるとしているものの,コンビニ各社が取るべき措置をこれに限定しているものとはいえず,むしろ,コンビニ各社が適切な措置を取らなかった場合に何らかの不利益を被ることを示唆する記載などはないことからすれば,そもそも本件要請に応じて何らかの措置を取るか否かも含め,コンビニ各社の自主的な判断に委ねたものであるといえる。」

法律的には、コンビニのエロ本撤去の「お願い」は同じ理屈で問題ないと思われる。

「そして,証拠(甲11,乙9)及び弁論の全趣旨によれば,本件要請後,本件リストに掲載された雑誌等ではないものの,暴力団を題材とするコミックを販売している福岡県内のコンビニが存在すること,県警は,本件要請後,コンビニ各社の取った措置の内容や本件要請に従ってコンビニから暴力団関係書籍等が撤去されたか否かについて調査したり,暴力団関係書籍等を置いているコンビニに対する再度の要請や何らかの不利益な取扱い等をしていないことが認められる。」

「前提事実(3)のとおり,本件要請を受けたコンビニ各社のうち,暴力団関係書籍等を取り扱っていた会社は,いずれもその販売中止及び店頭からの撤去を行っている。しかし,証拠(乙1から乙7の13まで)及び弁論の全趣旨によれば,福岡県下には多数の暴力団が存在し,暴力団組員による一般市民に対する犯罪や発砲事件も多いことから,平成21年10月19日に暴力団の排除の推進等を目的とする福岡県暴力団排除条例
制定され,官民一体となって暴力団を排除する取り組みがされていることが認められる。このような社会的風潮の下,本件要請を受けたコンビニ各社が自主的に上記措置を取ることは何ら不自然であるとはいえず,これをもって,本件要請がコンビニ各社に対し暴力団関係書籍等の撤去を事実上強制するものであったことを根拠づける事実であると評価することはできず,他にこのような事実を認めるに十分な証拠はない。以上のとおりの本件要請文書の内容及び本件要請の態様等からすれば,本件要請は,県警が行政警察活動の一環としてコンビニ各社に対し暴力団関係書籍等の取扱いに関する自主的な措置を取ることを求めるものにすぎず,その撤去を強制するものということはできない。そして,前提事実(2)ウ及びエのとおりの本件リストの作成及び配布も,本件要請に付随する事実行為にすぎないというべきである。」

すぐに表現の自由がどうこう、と言いたがる人がいるけど、裁判所と同じく、総合勘案してほしいものです。

「そうすると,本件要請は,その直接の相手方であるコンビニ各社に対してすら本件コミック等の撤去を強制するものではないのであるから,その直接の相手方ではなく,本件コミックの原作者にすぎない原告の執筆活動,その作品の公表及び販売等を規制するものということは到底できない。」

「そこで,憲法の保障する精神的自由の一つとしての表現の自由の重要性に鑑み,本件要請並びに本件リストの作成及び配布が原告の人格的利益を侵害する違法なものかどうかを判断するに当たっては,被侵害利益の内容及び性格,本件要請並びに本件リストの作成及び配布の目的の正当性,手段の相当性等を吟味した上で,総合的に判断すべきである。」

なんだっけなあ、市長の撤去がどうたらこうたら、みたいな話あったよな。

 

千葉市長熊谷氏、わざわざミニストップと成人雑誌販売中止の件について共同記者会見までしておいて「圧力」はなかったと主張→異論が続出 - Togetter

 

これは、さっきの判例の判断に、自分も準拠します。

懸命な皆さまは、裁判所よりも知的な判断ができると信じておられるかも知れませんが、自分はそうではないので。ではでは

 

現在の創作技術の不可能性

創作に関する技術というのは、非常に曖昧なもので、目的自体は「物語を面白くする」というようなシンプルなものなのに、それを実現する技術は霧の中にある。

これは、料理の技術が丁度、実感しやすい距離に配置できる。

「面白い」は主観である。

「美味しい」も主観である。

しかし、「旨い料理」はあるし、「料理の技術」は存在する。

物語に決まりなどない、と嘯く人間は非常に多いが、決まりはなくても技術はあり、そこに何もないなら、王道もまた無い筈ではある。

ただ、料理はまだ実体としての物品が目の前にあるが、物語の技術には、料理の技術ほどの具体性はない。

 

塩を1g入れる、という訳にはいかないのだ。

 

また、「美味しい」と比べ「面白い」は変動が激しく感じられる。

20年前に、なろう小説を出版社に持ち込んで、果たして出版できただろうか。

そう、なろう小説は、かなり特異に感じられる。

旧型の物語技術者ならば、その展開などに駄目出しをしたくなるのではなかろうか。だが実際には、それが売れて評価されている以上、なろうが正しい筈である。

少なくても、序破急や起承転結や説得的な内面描写などを付け加えると面白くなる、と信じる事は無効化されるのではないか。

こうなってくると、物語の技術に果たして意味があるのかないのか、という事にもなる。

なろうに限らず、主観的には首を傾げるような小説というのは存在する。

自分の場合、魔法科高校の劣等生を読んだ時、ほとんど理解できず首を傾げた記憶がある。だがその後、大人気シリーズへと育っていった。

結局、物語の技術というのは、霧の中である。

先人たちの言っている事も、正しいとは限らない。

しかも、成功者たちは、自分達が物語理論に従っているから売れていると思いこみたがるのだが、単にそれは結果論で、運によるところが大きいと考えるのが自然ではないか。

創作者自らが語る創作論がさほど当てにならない事が少なくないのは、そのためだろう。

 

特に答えもないまま、ではでは

 

どこまでが自己責任か。

自分は時々、益体もない、宙に浮いた事を考える。

たとえば、何でも自由に選べる世界になったとして、そこであえて醜い容姿を選んだ人間は、その醜さを批判されて当然だろうか、とかそういう思考実験的な事だ。

やはりそれは批判されるべきではなく、「自分で選んだ」という一点だけで、「理不尽」である容姿の批判を甘んじて受けなければならない理由がない。

嫌なら綺麗な容姿にすればいい、というのは、その根本にある「自分が醜いと感じたら罵っていい」という、肯定しにくい価値観を肯定してしまう事になる。

 

自分で選んだからといって、何でも負債を負わせられる訳ではない。

 

ここから連想して、ネットゲームで、ルガディンという種族がいるのだが、まあ、ムキムキマッチョみたいな種族で、仮にこのルガディンを選ぶ人間などに、謂れのない誹謗中傷があったとして、ルガディンを自ら選んだ時点で、言われない誹謗中傷の受け入れなければならないのか。

嫌なら種族を変えれば良い、で済むのか、と考えた。

それはやはり、ないな、と自分は思う。

ルガディンを選ぶ事と、ルガディンに行われる誹謗中傷を受け入れる事は違う。

また、その中傷を自己責任で受け入れろと迫る事は、誹謗中傷を肯定する社会をつくる事に等しい。

そんな風に思うのである。

 

これは特に現実の事象と関係ない、空想として考えていたが、まあまあ現実とも接点がありそうに思う。

「嫌なら辞めれば良い」みたいな意見は、結構見かけるものだからだ。

世の中はそんなに単純ではないだろう。

また、自己責任の範囲は、無限ではない。

責任の範囲は、常に社会通年上、妥当な範囲だろう。

ではでは

俺は馬鹿だ

chomosh.hatenablog.com

俺はこのブログを見るまで、シロの中の人がゲームをやっていない、という可能性を全く考慮していなかった事に気づいた。

シロの中の人の声優が、ゲームやりながら実況してるんだなあ、と完全に思っていた訳です。

でも言われてみれば確かに、中の人が本当にプレイする必要はない!

いやまあ、実際にはやってるかもしれんし、わからんけど、わからんけども、その「可能性について全く考えなかった」自分のピュアっぷりに驚愕しました。

先入観といえば先入観な訳だけども、ミステリのトリックに引っかかったような、妙に爽やかな気持ちさえある。

音声と映像が同期すると、それだけで事実のような気がしてしまうが、声をあてるプロである声優という職業を考えれば、実際にはプレイしていなくても、プレイしているかのように声をあてることは十分可能だ。

 

自分はこういところ、ほんと単純だなあ、と思いつつ、では